もしかしてスピリチュアルなのかもしれない

見て見ぬふりをしてきたけど、やっぱり視えてる気がする…

「自分」の境界線が分からない

昨日、親指が宇宙まで拡大しちゃうという話を書いたのですが。


同じように小学校高学年からいわゆる思春期と言われる時期、私はたびたび「自分の境界線」を見失って混乱するということを体験していました。

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自分の境界線というのには2種類あって、ひとつは物理的な「身体の境界線」。もう一つは「心の境界線」とでもいうもの。

 

「身体の境界線」は、昨日の話が一番わかりやすい例なのですが、とにかく自分の体の大きさとか、手を伸ばした時の距離感みたいなものがすごく把握しづらかった思い出があります。
普通に考えると皮膚が自分の身体の境界線で、皮膚の内側は自分、外側は外の世界です。

そうなんだけど、私はたびたびリビングのソファーに座っているのに部屋の向こう側の隅っこに丸まっているような錯覚を覚えたり、意識が体を抜け出して漂って行ってしまい風に流されてどっか行っちゃったりしていました。
冷静に考えたら全然届かいない遠くにあるものをひょいと手でつかもうとしてみたり、家や学校の壁との距離感を測れずに激突したりというのもしょっちゅうやってました。

もう一つの「心の境界線」でいうと、自分が考えていることと人が考えていることの境目が分からなくなって、自分の意識がどれなのか見失ってよく混乱してました。
人が思い浮かべている光景がどんどん流れ込んできたり、相手が感じてる感情を同じように感じてしまう、というようなことだったように思います。

自分は全然怒ってないのに突如強い怒りの感情が湧いてきたり、いったこともない場所で知らない人と話している”思い出”が浮かんできたり。

 

で、これを書いていて思い出したのですが、その頃の私はとにかく毎日疲れ果てていて、学校から帰ってくるとおやつを食べて、夕飯までひたすら眠ってました。
毎日毎日、眠くて仕方がなかった。
もっと外に出かけたり、大好きな本を読んだりしたいのに、睡魔に勝てない。
寝てしまってばかりで何もできない自分にものすごい自己嫌悪してました。

 

 

自分と他人や世界の境界線が分からなくなっていたら、そりゃー疲れてしょうがないだろうと今になると思います。
よく頑張ったよ、私。

 

 

ちなみに未だに指先の感覚が鈍いのか、つかもうとしたものを落っことすのは日常茶飯事です。
キノコでした。