人の「見える」の限界
今日は「視える」話じゃなくて、「見える」話。
人間は可視光線と呼ばれる特定の周波数の光しか見えていません。
もしも紫外線が見えたら?ラジオ派が見えたら?X線が見えたら?
方向を感知できるセンサーが体に搭載されていたら?
という動画を見まして。
【脳科学の達人】池谷 裕二【第38回日本神経科学大会 市民公開講座】
個人個人の感覚は測定して数値化し、シミュレーションして見せててもらうことはできれど、実際にほかの人がどう感じてるかということを私たちは普段知ることができません。
共感覚というのも少し前に話題になりました。
人の顔を見ると色が見えたり音が聞こえたり、音を聞くと味がしたり。五感のコネクションが混線しているような状態なんでしょうか。不思議。
人は見たいものしか見ない。
と同時に、見たいと願うものも見えないかもしれないし、見たくなくても見えちゃう人もいるのかもしれない。
科学ではまだ解明されていない様々なことがあるわけで、オーラとか生まれ変わりとかアカシックレコードとかもそのうちに大発見があって、科学的事実として広く受け入れられるようになるのかもしれない。(しないかもしれないけど。)
例えばオーラが見えるのは共感覚的なもののさらに拡張バージョンなのかもしれない。
というのは飛躍しすぎなのかもしれないけれど、脳科学とか量子力学の最先端ってすでに若干オカルトっぽくないですか?
さて、見えない紫外線対策をバッチリして、出かけますぞ。
キノコでした。