もしかしてスピリチュアルなのかもしれない

見て見ぬふりをしてきたけど、やっぱり視えてる気がする…

世界は粒子の集まり

慶応義塾大学教授で幸福学を研究されている前野隆司先生の「スピリチュアル」セミナーに参加したときのこと。

今年の5月なのでもう2か月前になりますが、世界が粒子の集まりのように見えるのだ、という話が出てとても印象的だったので何とか覚えているうちに書いておきます。

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「本当に慶応SDM(システム・デザイン・マネジメントの大学院)でやって大丈夫か?!」と前野教授ご本人も笑いながらおっしゃっていた無料公開講座のタイトルは「木を見て森も見るスピリチュアル学:スピリチュアル4.0」

 

幸福を科学的に研究するバリバリ理系の前野教授と、ほしのしほさんという、スピリチュアルな活動をされている「以前、宇宙人だったころの記憶がある」というガチンコスピリチュアルな方との対談。
「科学の観点からスピリチュアルに仮説をぶつけ、科学とスピリチュアルの対話を進めます!」という講座概要通り、オカルトっぽさゼロのオープンで明るい対談でした。

 

 

 

で、中でも一つ印象に残っているのが、ほしのさんがおっしゃってた「世界が粒子の集まりのように見えている」というお話。

 

人はもちろん、机も椅子も、床や天井といった空間を構成するものも、食べ物も、世界中のあらゆるものが粒子が塊となって形を表してるように見える、というようなことをおっしゃってたのです。
ずーっと見てると粒子がバラけて、人の顔とかは「顔」としての塊を成さなくなってしまうため、人の顔を判別するのが難しく感じていた時期があったとか。

 

 

私は目に入るモノは塊のモノとして見えているのですが、この「粒子が見える」という部分はちょっとだけ分かる気がしたんです。

というのも、なんとなく気が乱れていたり、目に見えて雑然とした空間にいると、空気の粒子が荒く感じるからです。

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ものすごく湿度の高い日や、雨が降る直前に、空気中の水分が白い靄のように目に見えてくるように。
雷が鳴る前に、空気中のピリピリとした細かい静電気がそこかしこでスパークするのを待っているのが見えるように。
もしくは、古いビデオテープを再生しているときのように全体にうっすら砂嵐がかかったような、解像度がいつもよりも低いような感じ。

 

 

最初は、埃っぽい部屋だから、単純に空気中に舞っている埃が見えてるんだと思ってました。

我が家のオット君は埃耐性が非常に高く、部屋が相当埃っぽくても埃に気づかないという困った特技を持っています。対して、私はちょっとでも部屋の隅に埃がたまっていると、視界に入る度に気になって仕方なくて超ストレス。
そんな我が家なので、多分私が埃を目ざとく見つけているだけだと。

 

でも、オット君に限らず、同じ部屋にいるほかの人には見えていないらしい。
しかも、きれいに掃除が行き届いていて埃っぽさゼロの場所であっても、粒子が荒いように見える場所がある。
コレハナンダ…

 

この対談で粒子の話を聞いてから注意して見てみるようにしたら、粒子が荒い場所もあるけど、粒子が荒い人もいるっぽい。
顔が判別できなくなるほどではないけれど、これは「視える」方の視界が「見える」よりも優位だったら確かに判別できなくなるだろうなぁ、という気はしました。

 

 

 

問題はですね、我が家のリビングはモノもあふれかえっているし、気の流れもどうも悪いらしくてすごい粒子荒いんですよ。
家の中で一番リラックスできる場所=世界で一番ほっとする場所であってほしいのに、この粒子の粗さはツラい。
一所懸命断捨離と整理整頓をしてみたり、神棚を設置してお祈りしてみたり、セージでスマッジングしてみたりしてるんだけど、どうもクリアにならない。
どうしたらいいんだろう~~~(困)

 

 

 

どういう場合に粒子が荒く見えるのか、どうして荒く見えるのか、すごく気になります。
知っている人がいたらぜひ教えてください。
キノコでした。

 

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