もしかしてスピリチュアルなのかもしれない

見て見ぬふりをしてきたけど、やっぱり視えてる気がする…

続・お盆うようよ

8月13日からお盆だそうです。

お盆にご先祖様をお迎えするような習慣がない家で育ったのと、社会人になってからもお盆にあわせて夏休みがあるような会社に勤めたことがないので、なんとなくお盆の時期に対する認識があやふやなキノコです。

 

7月のお盆の時期に、なんかの気配をそこら中に感じる、と書いたのですが

8月13日から、7月のお盆時期よりも一気に「ずどーん」と、ナニカがやってきました。

 

この頃、一気に肩こり頭痛が悪化して「視る」とか「感じる」どころじゃなく、栓が詰まってしまったような感覚に陥ってしまったので、いったい何がやってきてるのか、全然わかりません。

 

ことあるごとにペロンと身体を撫でられるような感じがしたり、肩や背中に乗っかられてユサユサ揺さぶられるような感じがしたり、あまり気持ちの良いものじゃなくて、「放っておいてよー」って感じです。

 

かといって悪いものな感じもしなくて、とにかく人口密度高くて不快…みたいな感じ。

 

電車は空いてるのに、コッチはやたら混んでる。霊にとっては里帰りとか、お盆休暇の行楽的な感じなんですかね。

 

 

お盆面白いね。

キノコでした。

 

 

目を閉じた時に見えるオーロラのような光の粒子

気を抜くとすぐにブログ更新を忘れてしまいます。
やりたいことがありすぎて、体が一つじゃ足りない…

 

さておき。

 

目を閉じてまぶたに浮かぶように光が見えることを、丹光というらしいです。
昨日調べて知りました。

 

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物心ついてからずっと見えてたので、みんな見えてると思っていたし、よく残像が瞼に映って見えるようなもんだと思ってた。


目を閉じたらサーっといろんな色の光が目の前を横切り、集まって、拡散して、色を変えて。

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見たことないんだけど、オーロラみたいな感じなのかな?

 

 

残像とどう違うんだろう?と気になったので、昨日の夜寝る前に軽く瞑想しながら観察してみました。

 

私なりに観察した残像と丹光の違い。

 

残像は

  • 光と影のコントラストが強く、モノクロ
  • 瞼のすぐ近く、網膜上にあるような至近距離に見える
  • 目玉を動かして視野に入る範囲しか見えない
  • 目玉を動かすと、映像もついてくる
  • 目を閉じてしばらくすると消えてしまう

一方丹光は

  • 柔らかくぼんやりとしていて、色がついている
  • 瞼よりも外側に映像が広がっていて、奥行きを感じる
  • 目玉を動かさなくても映像の中を移動することができて、視野の外にあるものも移動することで見ることができる
  • 目玉を動かしても映像がついてこない
  • 目を閉じてしばらくするとくっきりしてくる

 

最初は丹光と「イメージ」を区別するのが難しくて、オーロラのような光と一緒に風景や人物が浮かんできちゃったりしたのですが、集中して切り分けていくうちにだんだんと「光」だけを見られるようになりました。

 

色や強さを変えながら、まるで生き物のように伸びたり縮んだり、綿毛のように漂ったり、鳥や魚の群れのような動きをしたり。

 

下手なプラネタリウム行くよりずっと面白いなー、なんて思ってみているうちにいつの間にか眠っていました。

 

 

さて、この光も、妄想なんでしょうか…?
イメージじゃなくて「光」だけが見えるとしたら、その意味って何なんでしょう??

 

 

夏休みでどこもかしこも混みまくりだけど、色とりどりの光つながりでチームラボのコレに行きたい。

キノコでした。

寝ぼけた人は変なところと繋がってる

この間、夜中に子供が盛大に寝ぼけました。

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いきなりダダダダダッと寝ていた部屋から出てきたかと思うと、必死で何かを探してる。「どうしたの?」と聞いても要領を得ない答えを繰り返す。

目はしっかり開いてるのに、なんとなく視線が合わない。

お風呂場を覗き込んで「だって!机とかがないの!!」と若干切れ気味。そして猛然とパジャマを脱いで素っ裸になったかと思ったら床にへたり込んでしまう。

「シャワー浴びるの?汗かいちゃった?」と聞くと、なんかわからないけどシャワー浴びないといけないらしい。仕方ないのでシャワーを温めて浴室に送り込んだ。

 

シャワー浴び始めたら目が覚めたようで、しかしなぜ寝ていたはずなのにいきなりシャワー浴びてるのか理解できず、パニックになって号泣。

 

 

寝ぼけ方が豪快すぎでしょw

 

 

ところで寝ぼけている間、視線が合わない感じと同時に顔がないというか、顔に穴が空いてるように見えててナンダコレーと思ってたんですね。

顔がめり込むようにぽかーっと薄っすら暗くて、糸を引くように後頭部からすーっと、どこかに抜けて繋がってる感じ。

 

寝ぼけてたんだとわかった時に、あぁあれはなんかどっかに行ってたのか、繋がってたのか、そんな感じのまま身体だけ起きちゃってたんだな、と思ったのです。

 

幽体離脱してる間の人とかあんな風に見えるのかもしれない。
根拠ないけど。

前世があるか無いかはさておき、私の前世らしきもの

小さい頃から繰り返し見る夢があります。
正確にいうと寝ている間に見ているわけじゃないので夢というか白昼夢?妄想?

 

夢の中で私はゆったりとした丈の長い布をまとっていて、多分頭にも何か布を被っているような気がします。
(このイメージはいつも私自身の視点から見えるので、自分の姿がよくわからない…)

 

詳細な場所は分からないのですが、ぼんやりと中近東の砂漠地帯のようだと理解をしています。

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サハラ砂漠のような見渡す限り砂、というよりは、トルコのカッパドキアとかあのあたりの景色に近い。
緑が少なく、ゴツゴツとした白っぽい岩が延々と続く景色。

 

私は岩をくりぬいた大きな空間で日常を過ごしていて、そっと誰かを見守るような役割を与えられていたような気がします。

 

岩の質感がそのまま残された壁には灯りがともっていて、たくさんの部屋を入り組んだ通路と階段が結んでいる。
部屋の中はきれいに整えられていて、カーペットや調度品も上品だし、空気もひんやりとしていてとても居心地が良い空間になっています。

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私はここで、ドラマチックな恋愛をするわけでも、運命を変える出来事に直面するわけでも、命を懸けた戦いをするでもなく、ただひっそりと誰かのことを見守りながら静かに平和に過ごしてる。

 

強いて言うなら、なんか毎日祈りながら過ごしているような感じはします。

 

 

うーん、なんだろう…

 

 

 

覚えている限り、無意識のうちに「私は前世はトルコにいた」と思ってたので、長期の旅行に行けることになったとき迷わずトルコを行先に選びました。
10日ほどかけてトルコをぐるっと旅しました。

 

私は生まれ変わったみたいに何もかもが楽しくて、食べ物はおいしいし、行く先々で見かける風景はなぜか懐かしいし、「やっぱりここに住んでいたことがあるのかなー」なんて思ったのでした。

 

でも前世が見えるという人に見てもらった私の前世は、驚きのジャンヌダルクでしたけどね…

 

 

またトルコ行きたいな。
キノコでした。

お盆うようよ

東京ではお盆を新暦、すなわち今のカレンダーの7月15日から行うということで、先週あたりは近所の古そうなお屋敷の塀の角にナスとキュウリで作られた馬(牛?)がまつられていました。

 

盆踊りがあったりね。f:id:maisonnaoko:20180726233210j:image

 

本来旧暦の7月15日に行われていたお盆行事は、今の暦だと約1カ月遅れの8月15日頃だということで、日本の多くの地域ではこの時期にお盆ですね。
月の満ち欠けをもとにした旧暦のお盆は満月です。少し考えたら当たり前なのだけど、改めてこのブログを読んでハッとしました。

ameblo.jp

 

このブログでも言われてるけど、お盆の時期勝手に変えちゃって大丈夫だったのかな…

 

 

本来のお盆の時期は、そのタイミングだからご先祖様が帰ってくるわけですよね?
これ新暦でやっちゃうとご先祖様が迷ったり、なんか違うものが出てきちゃったりしないのかな??

 

というのもですね、7月13日は新月だったのですね。お盆の頃は細ーい月が空に浮かんでました。

そのタイミングでは特に何も感じなかったんだけど…

 

 

 

今度、満月が近づいてくるにつれ、特に夜に外に出てると、なんかものすごい密度でうようよと、何かが、いる気配。

 

すごい悪意を感じるとか、怖いとか、そういうことは無いのです。が、とにかくたくさんいる。気がする。

 

 

なんですか満月に向けてどっかの扉でも開いているのでしょうか…

 

 

ご先祖様、というようなほっこりする感じが全然無い。このヒト達はナニモノなのだ。

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イクラのキャラみたいな、存在感があるようなないような不思議な感じです。怖くない。

 


8月のお盆にはまた違う気配を感じるのでしょうか。

 

今まであまり「幽霊」は意識したことなかったのですが、しばらく気配に意識を向けながら過ごしてみようかなと思います。
キノコでした。

 

祖父母の魂の気配が消えた日

お葬式で魂を感じた祖父母は、その後もしばらく気配を感じさせてくれていました。

 

実家のお仏壇にお線香をあげ、おりんを鳴らして手を合わせると、祖父母がいつもこたえてくれて、そばにいて守ってくれているのが感じられました。

 

変な例えなのですが、それは、ドラえもんのび太タケコプターで飛んでいる絵に似ていました。あと、それにポケモンGOの画面を足して2で割ったような感じ。

見たことのない町の住宅街の上空を、実に2Dな感じに、つまり奥行きも距離感も現実味がない感じで漂っているのですが、漂っているのは私であり、同時に祖父母でもあるのです。

そんなに高いところにいるわけではないのに(せいぜい30メートルとか、どんなに高くても50メートルくらい)、まるで飛行機で飛んでるように周囲を靄が流れていきます。この感じがまた嘘くさい。

 

多分これは、どこでもないけれど常に私がいる場所を象徴している風景なんじゃないかと思ってます。

 

とにかく、そんな嘘くさい風景の上空に漂う祖父母の存在を、私はいつも感じていました。地上を見下ろす2人の視線の先には私がいて、2人が見守ってくれている。

お仏壇に手を合わせるといつもそのイメージが浮かんで、ものすごくあたたかく、安心した気持ちになれたのでした。

 

ところが、祖父母が他界してから何年かして、久しぶりに実家に帰ってお仏壇に手を合わせたとき、2人の気配がすっかり消えているのに気づきました。

空を漂っているイメージを思い浮かべてみても、私はそこにいるけど2人の気配はしません。飛んで行ける範囲で地球上のあちこち探してみたけれど、2人の魂の気配は綺麗さっぱり消えていました。

 

 

その時、2人の魂が存在する場所を変えたんだ、という考えが浮かびました。

生まれ変わったのか、天国かなにか「この世」ではないどこかへ移動したのか。なんとなく生まれ変わったような気がします。

 

 

魂の気配を感じるのはとても心温まることだったけと、気配が消えた時は心が震えるような嬉しさと清々しさを覚えました。寂しさもなく、怖さもなく、なにかこう、心からお祝いしたいような気分。

 

今でもその時のことを思い出すと、同じ気持ちが蘇ります。おじいちゃんとおばあちゃん、どこに生まれ変わったのかなぁ。また会えるかなぁ。2人はまた一緒にいるのかなぁ。

 

いつか生まれ変わった祖父母に会ってみたいな、なんて思います。

キノコでした。

祖父の魂を、祖母の魂が迎えに来た

おばあちゃんのお葬式で、おばちゃんの霊を見た時の話を昨日書きました。

 

数年後、おじいちゃんが亡くなった時のお葬式でも、同じような光景を見ました。

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その時もやっぱり、お坊さんの読経の声がおなかに心地よく響いてうっかり寝てしまいそうになるのを堪えるために、天井近くに漂うお焼香の煙をじーっと眺めていました。

 

煙のもやもやと重なるように、白っぽく光る何かが天井付近を飛び回っているのに気付いた瞬間に「ああ、ようやく再開できたんだね、よかったね」という思いで心がいっぱいになりました。

 

数年前に亡くなったおばあちゃんが、おじいちゃんを迎えにきたところで、二人は再開できたことを心から喜んでいるんだ。
そのことを私は「知って」いました。

 

 

なんだろう、あの感覚。

 

その後も、近しい人のお葬式で何度か同じような光景を見たのですが、お葬式で見るそれはいつも透明で清々しく、悲しみを一瞬忘れさせてくれます。
お葬式で見かける魂は、何か特別な状態なのかなぁ…

 

 

煙が揺蕩うのを見るととても心が落ち着くのは、お葬式で見かける透明な魂のことを思い出すからかもしれません。

 

 

 

こうやって、思い出すままにブログに書いていると、なんだかだんだん視えているかもしれないものが何も特別ではなく、普通なことのように思えてきた。
でも、まあ、普通魂とか見えないですよねぇ…

キノコでした。