母の背中が光って見えた話
小さい頃、お母さんの肩たたきをするのにハマった時期がありました。多分、小学校低学年から高学年に上がるくらいのころ。
肩たたきをすると、母が喜んで褒めてくれるのが嬉しくて、張り切って肩たたきをしていた記憶があります。
今思えば小学生の小さな拳でトントンやられたくらいで母の頑固な肩こりがほぐれたはずもなく、母は「あ〜そこそこ、上手ね〜気持ちいいわ〜」と、おだてられた猿のように浮かれて肩を叩く私の相手をしてくれていたような気もします。
しかし、私が肩たたきにハマっていたのは、母が褒めてくれるからだけではなかった。
いつの頃からか、母が気持ち良いと言ってくれるポイントが、ぼんやりと光って見えるようになってきたんですよね。
もしかしたら最初から光ってて、叩くと気持ちの良い場所との関係を理解したのが後からだっただけかもしれません。とにかく、母の身体の凝ってるポイントが光って見えた。
光ってるところを順番に叩いていく。肩から始まって肩甲骨まわりに移動し、腰まで降りて行ったらまた肩までゆっくり戻って、首と頭頂部までトントン、パタパタ。
電子ピアノとかで、鍵盤が光ってナビゲーションしてくれるのあるじゃないですか。あんな感じです。光が導いてくれる。
そのうち、おじいちゃんおばあちゃんとか、普段離れて暮らしてる人にも肩たたきしてあげたりすると、やっぱりちゃんと光って見える。
「おじいちゃんは左肩の端っこは叩いたら痛いから避けて叩こう」とか、「おばあちゃんの腰の方は叩くよりさするように優しく触らないとダメだ」とか、背中に向き合ってるとそういうのも頭に浮かんでくる。
でもなぜか、光って見えてることや、悪いところが分かることは人に言ったら笑われる気がしてずっと内緒にしてました。人に言ってはいけない恥ずかしい癖、みたいな感覚だったのかも。
だから、自分が感じてたものが正しいのかを相手に確かめられず、自分でも理解できないまま過ごしてました。そして、分からないまま、私はその事実も記憶も封印してしまいました。
見ようとしないと見えない、もしくは見えてても意識に登らないので、大人になって久しぶりに母の肩たたきをした時に母の背中の一部が光って見えたときには「そういやそうだっけ」と。
そして光を意識に登らせるようにしてみると、光るだけじゃなくて色んなものが見え出して大混乱したのですが、その話はまた。
ちなみに私のひそやかな夢は鍼灸師になることで、高校生くらいからン十年本当にひそやかに思い続けてるだけなのですが、鍼灸師に憧れるのもこんな体験の記憶があるからかもしれません。
本当に光って見えるなら、鍼灸師とか治す方の技術を身につけたらちゃんと力を生かせるはずなんだけどな。
おしまい。
キノコでした。